鶴見臨港鐵道株式会社

◆鶴見ビルヂング計画

 昭和3年5月9日付重役会決議書に「鶴見ビルヂング計画の件」が記載されております。
引用すると、「鶴見駅附近ハ鐵道省トノ連絡ノ為メ乗客ノ出入最モ頻繁ナルベク又将来豊岡方面住宅地繁栄ノ暁ニハ本連絡駅出入ノ乗客モ相当増加スル見込アリ 今回計画ニ於テ連絡設備ノ為メ買収スル地域ハ目下ニ於テ地価既ニ百円ニ達セリ 此地域ヲ最モ経済的ニ利用シ且民衆ノ集中策ヲ講スルハ鉄道経営トシテ最モ重要ナルヲ以テ鉄道連絡として必要ナル地所及構造物ヲ利用シ別紙図面ノ如キ建築物ヲ新設致度候」

●建築物要領
○構造 鉄筋コンクリート五階建
 各階面積
  地階 245坪 暖房・下水・倉庫等
  1階 430坪 駅事務室・待合室
  2階 430坪 鉄道線路及乗降場
  3・4・5階 1056坪 貸室760坪
  合計 2161坪
○工事費予算 総額 555,821円

 昭和3年4月24日付阿部美樹志事務所の作成した「鶴見停車場設計図」が弊社に残されておりますので、一部ご紹介します。
○正面図

○南側建図

 
齋藤美枝さんの著書「鶴見ゆかりの人物誌(発行/編集工房 藍)」によれば、建築史家川島智雄先生の分析として次のように紹介されております。「高架で電車が入るターミナルビルは昭和8年の阪急三ノ宮駅につながっていく、画期的な、わが国で最も早い時期のターミナルビル」「エレベーター付き、廻り階段が扉なしに接続していることから、貸事務所ではなく、百貨店など商業施設が計画されていたものと判断できる」詳細は齋藤さんの書籍をご参照下さい。
この画期的な駅ビル計画は、まだ貨物輸送開業間もなく、2期工事も未完成で未だ鶴見駅に乗り入れる状況になかったこともあり重役会で保留とされ承認されておりません。結果、昭和恐慌のあおりを受けて規模を縮小され、昭和9年に2階建てで完成することとなります。この華麗な設計が実現していればどんなに素晴らしかったろうかとも思いますが、昭和3(1927)年の段階で既に昭和金融恐慌が発生していたこともあり、この計画が承認されていたなら、その後の海岸電気軌道の合併もあり、間違いなく危機的な状況に陥ったものと思われますので、当時の経営者の判断は適切であったように思います。
 ただ、当時の状況を考えますと当時貨物は蒸気機関車で牽引していたようですので、これがこの素敵な鶴見ターミナルビルに入線していれば煤煙で大変なことになってしまいます。その意味でも実現は困難だったかと思われます。