鶴見臨港鐵道株式会社

◆跨線線路橋

 当社の歴史を顧みる時、鐵道運行するなかでの重大事故の記録が見あたらないことに気づきます。
 貨客でターミナルがそれぞれ濱川崎と鶴見駅で分離されていることと、貨客ともに埋立地内の運転でそれぞれの駅間距離が短く、スピードも減速して運行されていることもありますが、貨物の運搬では濱川崎駅は国内有数の搬送量であり、「E利他の経営」で日本鋼管株式会社の運輸部長永田米三郎氏の報告書に記載の通り、鐵道省における正規の安全確認で作業していたら作業効率が上がらないと言われるくらいですから、現場は相当負荷がかかったものと思われれます。

 こうした状況で重大事故の事例が営業報告書にも一切記載がなく、ネット検索でもヒットしない。現場の安全管理については、弊社社内に資料がないのでコメントできませんが、線路設計にしても運行管理にしても、相当に熟練した技術者が対応した成果ではないかと思います。これは戦時買収以降も鐵道省・国鉄・JRに引き継がれて継続されているのですから、実は大本の線路設計が優れていたのではないか、あるいは沿線進出企業ともうまく連携がとれていた、またそうなるようインプットした浅野總一郎の面目躍如であったように思います。
 
 特に省線東海道線と京浜東北線というこの国の大動脈を跨いで高架で上を通過する跨線線路橋、連結してそのまま京急線も越える一連の跨線橋については、万が一の場合、構造上相当のリスクが伴いますから、この設計と施工は昭和初期の工事として相当重要な工事だったと思われます。

花月園前駅方面から鶴見方面跨線橋を見た写真。左側の青
い鉄橋がJR線の東海道線・京浜東北線を跨いでいる。
鶴見駅方面から花月園前方面方面を見た写真

 当社の記録では、昭和3年10月20日に東京鐵道局長宛てで「鶴見線省線上下交叉變更敷設認可」を提出し10月29日付で認可され、11月7日付で「鶴見線東海道本線跨線橋架設工事委託願」を同局長宛てに提出し昭和4年5月8日付で認可されております。

第10回営業報告書(昭和4年上期)の記載を引用すると、「當區間(辨天橋-鶴見間)工事ハ當社全線中最難ヶ所ナリ即チ鶴見川鐵筋コンクリート拱橋、京濱新舊國道跨線橋並ニ京濱電鐵東海道本線横断跨線橋等橋梁ヶ所七ヶ所ニ及ビ其他ハ全部鐵筋コンクリート高架橋ナル等一トシテ容易ナルハナシト雖モ其内最難工事ト目サル、東海道本線跨線橋ハ東京鐵道局ヘ其架設工事ヲ委託シ既ニ承認ヲ得タルヲ以テ現在ノ如キ工程ヲ以テ進メバ本年中ニハ軌道工事ヲ残ス外全部竣功スヘキ見込ナリ」と記載されております。

そしてこの後第12回営業報告書(昭和5年上期)で「東京鐵道局ニ委託中ノ省線横断橋梁工事ノ内橋脚工事ハ目下工程五分ニシテ橋桁架設用支保工ハ殆ンド完成シタルヲ以テ来期早々架設工事着手ノ豫定ナリ 鋼鈑桁十一連ノ中舊國道二連、新國道二連及總持寺二連ハ架設ヲ了セリ」と記載され、その結果昭和5年10月28日付で扇町から仮鶴見駅間の鐵道線の旅客運輸営業開始を迎えます。

 この東海道線・京浜東北線を跨ぐ部分は当時鐵道省の技師(若松友次郎氏)が設計したもので、鐵道省に委託して工事施工されたものです。京急線部分は「鉄筋コンクリート工学の父」と呼ばれた阿部美樹志氏が鶴見川拱橋から鶴見駅に至る一連の高架橋を設計して当社発注で施工されたようです。

 そもそも新鶴見操車場に連結する想定でなければ、このような難工事を施工して鶴見駅西口に繋ぐ必要性もなかったようにも思いますが、創業間もない当社が省線及び京急線の線路の上に跨線橋を架けるという大胆不敵に思えるこの線路設計にも驚かされますし、それを許可する度量の大きな鐵道省にも、さらには昭和恐慌の荒波を受けて資金繰りも困難な状況で、その先の新鶴見操車場に連結し、貨物全国輸送展開を目指すという創業以来の大目標完遂にブレのない経営陣の真摯な姿勢にも感服します。

 鶴見線高架橋,国道駅は日本の近代土木遺産に選定されております。浅野總一郎が安田善次郎の支援を得て起業した埋立事業も壮大ですが、昭和恐慌の荒波にもがき苦しみながら、金融機関の支援なき鐵道事業を軌道に乗せた経営力の評価は高いように思われます。

 余談ですが、ターミナルが分離されているというのは絶妙で、人体に例えれば口腔から栄養分(食べ物や水)を摂取し、それが消化吸収され、血液となって心臓に流れ込み心臓から全身に伝達される、そういった構造を埋立地に配置したように見える。口腔が鶴見駅であり栄養分(人知)を取り入れ、心臓は濱川崎駅で血液(原料・生産物の物流)を送り込み成果品は全国に発送する。ターミナルが一体であれば混雑するし、うまく機能しなければ事故が発生し、病んでしまう。短い路線ではあるが、極めてよく考えた設計になっている。新鶴見操車場まで連結していた場合の運行管理はどうしていたかは分かりませんが、貨客ともに鶴見駅を通過することになりますと相当混雑したように思います。

 なお、跨線線路橋についてデータもなくマニアでもありませんので違っていたら申し訳ありませんが、東海道線を跨ぐ跨線線路橋には八ツ山跨線線路橋(港区京王品川ビル付近)がありますが、これは昭和8(1933)年完成とされてますので、この鶴見線の跨線線路橋は最も古い部類ではないかと思われます。