第6章 追憶の章

 当社には戦時買収で鐵道省に引継したもの及び鶴見臨港鐵道線における現場保管資料は何もありませんが、戦時中も本社を東京都麹町區丸ノ内一丁目に置いていたこともあり、当時の本社保管の書類は戦災を免れ、今も比較的読了に堪えられる状況にあります。なかには興味深いものもありますので、ご興味をお持ちの方はこちらでご参照ください。鶴見線をご利用になる際には、この路線にはこんな歴史があったかと思いを巡らせて頂ければ幸甚です。


@ 日本初の4ドア電車
昭和18年
A 一部路線変更
大正13年
B 南満州鐵道
昭和 3年
C 鐵道還元運動
昭和24年
D 貨物輸送量推移
E 旅客輸送数推移
F 利他の経営
G 跨線線路橋
H 関毅 氏の功績
I 昭和恐慌と金融
J 鶴見ビルヂング計画
昭和 3年
K 大森線路線変更
昭和14年
L 鶴見線路線変更
昭和 2年
M 戦時買収三分半利公債
昭和18年
N 社長邸招待會
昭和 4年
O 悲運の経営者